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Showing posts from August, 2016

ハンカチ

それ、きれいなハンカチでしょう。淡い紫がとってもお上品。セリーヌよ。 ずっと昔、コンクールに出るとき、本番前の最後のレッスンのときに、先生がくださったの。レッスンが終わってありがとうございました、ではがんばってきますと申し上げたら、渡すものがあるからちょっと待っていなさいとおっしゃって、隣の部屋からこれを持ってきてくださったわ。わたしがコンサートの本番前によく使っているものなのだけど、お守り代わりに持っていなさいって。光栄でしょう。わたし、小学生なのにコンサートマスターのハンカチを楽器ケースに忍ばせていたのよ。それだけで、なんだか周りの子よりもいい演奏ができる、って感じだったわ。控え室で何度もハンカチを取り出して、うっとりしてしまったわ。貴重な品だから、手汗を拭くのには自分のタオルハンカチを使ったけどね。それにシルクのハンカチは拭くために使うものじゃないし。ほら、本番前って緊張して手汗をかくじゃない? ほんとうにお守りになったのかって?もちろん素晴らしいお守りになったわ、だってわたし、そのコンクールで優勝したんですもの!高学年の部で1位を取ったの。世界規模のコンクールなんてものではない、地方のホールで開かれたものだったけどうれしかったし、誇らしかったわ。きっとそのハンカチのおかげね。いつもはとても緊張するのに、ソロコンサートマスターの気分で弾けたもの。 今はお守りにしないのかって?そうね、今はもう音楽の場で何かを目指すことはないし、そのハンカチに専門外のことをお願いするのもおかしな話じゃない?コンサートマスターの本番と、その弟子のコンクールを見守るのがお仕事だったのに、素敵なひとに出会えますようにとか、健康でいられますようにとか、そんなことをお願いするのは変だわ。ハンカチだって、そんなこと知らない、って困ってしまうでしょう?だから今は、楽器ケースの中でゆっくり休んでもらっているのよ。こうして時々お洗濯して、いい香りの香水をひと吹きしてね。

水枕

氷を買ってきてください。どうしてって、冷凍庫の氷がもうなくなってしまったからよ。あの子の水枕を替えてあげなくちゃならないのよ。かわいそうに、あんなに高い熱を出して、すぐ溶けてしまうんだから。氷なんて作ればいいだろうって、もちろん作ってるわよ!氷ができるまで何時間かかるかわかるでしょう?作る分だけじゃ到底間に合わないのよ、だから買ってきてって言っているんじゃない。どうしてすぐに行ってきてくれないんですか!お店までほんのひとっ走りじゃないの。わたしが行けばいいじゃないかって、あの子につきっきりで看ているのは誰ですか!ほんの少しの間でもあの子をひとりにしておくなんてできないわ!だからお願い、あなたが氷を買ってきてちょうだい。どうしてなの…どうしてあの子のために氷のひとつも買ってきてやれないの?あんなにうなされている、かわいそうなあの子のために?人でなしだわ、あなたは人でなしよ… ぬるくなった水枕はいつだって騒がしい。タプンタプンという水の音が、お前だけは眠らせまいとばかりにどこまでも追いかけてくる。こんなに頭が痛いのに、眠りたいのに、水枕は決して許してくれない…