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Showing posts from 2015

まつげ

  目にまつげが入っているんじゃないか。  そう感じ出したのは、実習が始まって1時間くらい経った頃だった。短く見積もってもあと4時間半はかかる実習、しかもほとんど休憩時間はとれない。手には実験用の手袋をつけ薬品まみれ、到底自分の目をいじったり鏡を見られる状況ではない。  疑惑が確信に変わったのはそれからさらに30分ほど経った頃である。ヤバイ。目がゴロゴロする。すごい違和感、でもなんか親しみがある。そう、わたしはよくまつげを眼球にダイブさせるタイプの人間なのだ。ダイブとタイプで韻を踏んでいることにお気づきだろうか。  そこから人知れずわたしとまつげ in the eye の闘いの火蓋が切って落とされた。泳ぐまつげ、痛む眼球、そんな眼球のことなどお構いなしに自分勝手に痛む腰と背中、どんな状況でも無慈悲に鼻をつく薬品臭……周囲には、目にまつげなんて入っているのはダサイじゃないですか、わたしの目にはまつげなど1本も入っていませんよという顔をしてむやみにヤクルトを絶賛する話をしながら、 南北戦争さながらの過酷な闘いに耐えていた。乳酸菌はわたしを助けてはくれなかったが、班員の男の子に乳酸菌マスターの称号をいただいた。  あと30分で帰れる。実習室は18:30には閉めなければならない。あと30分、30分だけ我慢すればよいのだ。ようやく戦争終結の希望が見え始めた18:00、わたしは喜びに震えていた。    18:20。あと10分だ。もうじき実習終了の号令がかかるだろう。  そんなわたしの希望は、班員の「先生、せめて19:00まで延長してください」という懇願の声、それに続く教員の「いいっすよ」の言葉であっけなく打ち砕かれた。あのとき「いいっすよ」といった教員の声、その冷酷な響きは生涯忘れることができない。なんでそんなに口調が軽いんだ。わたしは考えることをやめた。  そのあとの数十分、わたしの目がどうなっていたのかは覚えていない。絶望のあまり、かわいそうな目は感覚を失ってしまっていた。  終業後、完全に身も心もクタクタになって家に帰ってから、すぐに鏡で確認した。  まつげは入っていなかった。     なんだか目がゴロゴロする。

健康によい文章

ブログ始めました。 今までにインターネットをしていて何度も見てきた表現だ。その度にわたしはそのブログの筆者を体育館裏に呼び出し、殴りつけたい衝動に駆られた。何がブログ始めました、だ。大体貴様は誰だ。貴様がブログを始めようが大学のレポートを提出し忘れようがラーメンを食べに行こうがそんなことはわたしを含めた世界の大半の人間にとってどうでもいいんだ。知ったこっちゃないんだ。そんなまるで益のないどうでもいいことをいちいちインターネットに書き込むんじゃない。そしてこれはまさに正論、宇宙の真理と言える。小学生が、中学生が、高校生が、総理大臣が、外務大臣が、大学教授が、医者が、公務員が、テルミン奏者が、エステティシャンが、ひよこ鑑定士が、映画スターが、右翼が、左翼が、ヤクザが、カタギが、老若男女が納得するまっとう極まりない主張である。 そのわたしがなんとまあブログを始めてしまった。しかもはてなブログである。ブログ運営サービスを利用させていただいているくせに、はてなブログについては何も知らない。大方、「はて、なんでわたしは始めてしまったのかしら、ブログを」か何かの略なのだろう。きっとそうだ。 さて、そのなんでブログを始めてしまったのかについて書こうと思う。そんなこと誰も知りたくは ないのだから書かなくてもよいのかもしれないが、物事を起こす時はその理由を明確にすることが吉なのである。物事には理由がある。がん保険には色々な種類がある。わたしはそう教えられて育った。なんの前触れもなくいきなり頬を叩かれたら、納得できず心底腹が立つだろう。しかし「お前がおれの口頭試問をいつも不合格にするから叩くんだ」と言われてから叩かれたら、ああなるほどな、だから叩かれるのかと納得できるだろう。だからブログを始めた理由を書く。そうすればこれを読んだ人は、ああなるほどな、だからコイツはブログなんぞ始めたのかと理解し、続きを読まずにパソコンなりスマホなりの電源を落とすことができる。 前置きが長くなってしまったが、ブログを始めたのは、昨日拝見したツイッターのフォロワーさんがお書きなすったブログが大変に、それはそれはもう非常におもしろく、ぜひ読者になりたいと思ったからである。まさにウィットに富んでいて軽快なリズムに満ちたエンターテインメント性のある文章(この表現はそのブログからの抜粋です)だった。これからもこの文章