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Showing posts with the label はてなブログ 泣く子はビネガー

ロッカー

   現在の自分がこの世でもっとも醜く、有害な生物-すなわち春休み中の大学生-に身を落としているという事実に耐えきれなくなり(というわけではなくただ単に大学に用事があっただけだがこういうインチキトンチキな理由付けをした方が書き出しがかっこよくなるかなと思ったので)、数日ぶりに大学に行ってきた。  数日ぶりの大学。毎日行かなければならないときには愉快な場所には感じにくいが、数日ぶりとなると妙な新鮮さがあってなかなかいいものだな、と思う。まるで倦怠期の恋人のようである。恋人がいたことがないので倦怠期の恋人がどんなものなのかさっぱりわからないが、倦怠期の恋人という文字列から漂うほのセクシーさが気に入っているのでわざわざ書いた。この文章を目にした倦怠期の恋人経験のある方で、倦怠期の恋人ってそういうものじゃないよ等の文句がある方はわたしのask.fmに匿名で文句をお寄せになるかお住まいの自治体の広報課にクレーム電話をかけてくださればそれで結構だ。よく知らないが公務員なんてどうせ暇なのだ。公務員をやっていた人間が「公務員は3日やったらやめられないよ」と言っていたので間違いない(毎日忙しく業務をこなしていらっしゃる公務員のみなさん、本当に申し訳ございません。大体ジョークだから怒らないでください。でも知り合いの公務員の件はマジです)。  帰る前に自分のロッカーのようすを見に行った。台風のときに川のようすを見に行くと高確率で死ぬので見に行ってはいけないとNHKの高瀬アナも言っていたが、春休みに自分のロッカーのようすを見に行ってはいけないとは誰も言っていなかったからである。ひとがやってはいけないということはやっていけないのだが、やれともやるなとも言われていないことに関しては、自分の裁量でやってもいいのである。日本というのはそういう国なのである。日本っていいね、豆助や。  くたびれたリサとガスパールのキーケース(くたびれているのはリサでもガスパールでもなくキーケースである)から鍵を出し、ロッカーを開けると、そこはワルシャワ蜂起後のワルシャワ市内の一歩手前くらいに荒れていた。白衣は片側の肩(かたがわのかた、おもしろい響きである)がハンガーからずり落ち、運動靴を入れていたビニール袋の端は扉に挟まりヨレヨレになり、ラインマーカーだらけのプリントが...

カレンダー

  カレンダーを買っていない。  わたしがアホ面をしている間に2016年は早くもその4分の1を終えようとしており、キラキラの新年度も目前に迫っている。もちろんわたしとてこの3ヶ月近くをずっとアホ面をして過ごしていたわけではなく、女子大生らしく夕ご飯をスターバックスで済ませてみたり、大学の同期カップルの破局話を耳にしたり、大学でカップルが熱い抱擁を交わしているのを横目で見てみたり、スターバックスに疲れて学食でラーメンを啜ったり、朝から晩まで図書館で勉強をして過ごしたり、謎の哲学のおじさんに話しかけられたり、教授からのメールに怯えまくったり絶望しまくったり、70年前に死んだ海外の詩人に恋をしてみたりといろいろしながら過ごしていたわけである。しかしその間じゅう本当にアホ面をしていなかったかと聞かれるとこれも自信がなく、元来賢そうな顔ではないのでひょっとしたらアホ面だったのかもしれないという懸念も拭いきれない。こんな懸念に悩まされるくらいなら始終エマワトソンのお面でもつけていればよかった。まともにブログも書けやしない。人生とは大方こんなものである。  話は戻るが(別に戻らなくてもいいのだがなんとなく書き出しの文章を放って去るというのも気持ちが悪いしそういう中途半端なことは性に合わないし、何より中途半端な行いは非モテの素である。味の素は豚の成分が入っていたためムスリムに焼かれたが、非モテの素は自ら焼き切っていくくらいの気持ちでないといけないのである。)、今年のカレンダーをまだ買っていない。手帳はつい数日前に3月始まりのものを買った。しかし壁に掛けるカレンダーがまだなのだ。ミュシャのものか何か、おしゃれなカレンダーを壁につければ部屋も華やぎ予定も書き込め人生はバラ色になり、これまででは考えられなかったデートの予定なども続々と入ってくるに違いないのだが、新居の管理会社からなるべく壁に穴を開けたりしないようにと言われているのである。壁に穴を開けるなというのは実はなかなか厳しい注文で、時計を掛けることもできない。恋人の写真を画鋲で留めることもできないし、恋敵のための藁人形を壁に打ち付けることもできない。  仮に壁に穴を開けたらどうなるのか。目には目をの精神で足の甲に穴でも開けられるのか、はたまた味の素のように焼かれるのか、次の物件の人柱にでもされ...

まつげ

  目にまつげが入っているんじゃないか。  そう感じ出したのは、実習が始まって1時間くらい経った頃だった。短く見積もってもあと4時間半はかかる実習、しかもほとんど休憩時間はとれない。手には実験用の手袋をつけ薬品まみれ、到底自分の目をいじったり鏡を見られる状況ではない。  疑惑が確信に変わったのはそれからさらに30分ほど経った頃である。ヤバイ。目がゴロゴロする。すごい違和感、でもなんか親しみがある。そう、わたしはよくまつげを眼球にダイブさせるタイプの人間なのだ。ダイブとタイプで韻を踏んでいることにお気づきだろうか。  そこから人知れずわたしとまつげ in the eye の闘いの火蓋が切って落とされた。泳ぐまつげ、痛む眼球、そんな眼球のことなどお構いなしに自分勝手に痛む腰と背中、どんな状況でも無慈悲に鼻をつく薬品臭……周囲には、目にまつげなんて入っているのはダサイじゃないですか、わたしの目にはまつげなど1本も入っていませんよという顔をしてむやみにヤクルトを絶賛する話をしながら、 南北戦争さながらの過酷な闘いに耐えていた。乳酸菌はわたしを助けてはくれなかったが、班員の男の子に乳酸菌マスターの称号をいただいた。  あと30分で帰れる。実習室は18:30には閉めなければならない。あと30分、30分だけ我慢すればよいのだ。ようやく戦争終結の希望が見え始めた18:00、わたしは喜びに震えていた。    18:20。あと10分だ。もうじき実習終了の号令がかかるだろう。  そんなわたしの希望は、班員の「先生、せめて19:00まで延長してください」という懇願の声、それに続く教員の「いいっすよ」の言葉であっけなく打ち砕かれた。あのとき「いいっすよ」といった教員の声、その冷酷な響きは生涯忘れることができない。なんでそんなに口調が軽いんだ。わたしは考えることをやめた。  そのあとの数十分、わたしの目がどうなっていたのかは覚えていない。絶望のあまり、かわいそうな目は感覚を失ってしまっていた。  終業後、完全に身も心もクタクタになって家に帰ってから、すぐに鏡で確認した。  まつげは入っていなかった。     なんだか目がゴロゴロする。

健康によい文章

ブログ始めました。 今までにインターネットをしていて何度も見てきた表現だ。その度にわたしはそのブログの筆者を体育館裏に呼び出し、殴りつけたい衝動に駆られた。何がブログ始めました、だ。大体貴様は誰だ。貴様がブログを始めようが大学のレポートを提出し忘れようがラーメンを食べに行こうがそんなことはわたしを含めた世界の大半の人間にとってどうでもいいんだ。知ったこっちゃないんだ。そんなまるで益のないどうでもいいことをいちいちインターネットに書き込むんじゃない。そしてこれはまさに正論、宇宙の真理と言える。小学生が、中学生が、高校生が、総理大臣が、外務大臣が、大学教授が、医者が、公務員が、テルミン奏者が、エステティシャンが、ひよこ鑑定士が、映画スターが、右翼が、左翼が、ヤクザが、カタギが、老若男女が納得するまっとう極まりない主張である。 そのわたしがなんとまあブログを始めてしまった。しかもはてなブログである。ブログ運営サービスを利用させていただいているくせに、はてなブログについては何も知らない。大方、「はて、なんでわたしは始めてしまったのかしら、ブログを」か何かの略なのだろう。きっとそうだ。 さて、そのなんでブログを始めてしまったのかについて書こうと思う。そんなこと誰も知りたくは ないのだから書かなくてもよいのかもしれないが、物事を起こす時はその理由を明確にすることが吉なのである。物事には理由がある。がん保険には色々な種類がある。わたしはそう教えられて育った。なんの前触れもなくいきなり頬を叩かれたら、納得できず心底腹が立つだろう。しかし「お前がおれの口頭試問をいつも不合格にするから叩くんだ」と言われてから叩かれたら、ああなるほどな、だから叩かれるのかと納得できるだろう。だからブログを始めた理由を書く。そうすればこれを読んだ人は、ああなるほどな、だからコイツはブログなんぞ始めたのかと理解し、続きを読まずにパソコンなりスマホなりの電源を落とすことができる。 前置きが長くなってしまったが、ブログを始めたのは、昨日拝見したツイッターのフォロワーさんがお書きなすったブログが大変に、それはそれはもう非常におもしろく、ぜひ読者になりたいと思ったからである。まさにウィットに富んでいて軽快なリズムに満ちたエンターテインメント性のある文章(この表現はそのブログからの抜粋です)だった。これからもこの文章...