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Showing posts from 2017

自殺

  安定した技巧にはっとするほど叙情的な音色、ときに繊細、ときに大胆な表現力で聴衆を魅了する彼女はヴァイオリニストだった。美人音楽家などと持て囃されることはない丸顔の平凡な顔立ちは、しかし彼女が技量だけでその地位を確かなものとしていることを示していた。17歳で世界最高峰と呼ばれるコンクールでの優勝を果たしてから20年近くの歳月が経ち、その音色はさらに円熟した響きを帯びて聴く者を至福の世界へといざない続けていた。 そこはコンサートホールで、わたしは客席で彼女のリハーサルを聴いていた。本番前の静かでぴんと張り詰めた空気の中になぜわたしがいることが許されていたのかはわからない。わたしは彼女の伴奏者であるどころか譜めくりでも、彼女に当たるスポットライトを調節する裏方ですらなかった。しかしそのようなことはどうだっていい。これは、夢なのだから。 彼女とわたしの他に誰もいないホールに響いていた音色が、ふいに途絶えた。彼女は楽器を肩から下ろし、はあ、とため息をつき、そのまま無言で舞台の袖に姿を消した。そのため息はこれまで彼女が奏でていたどの音よりも深く響いた。 ひとりホールに残されたわたしは、彼女の音色とため息の中に閉じ込められたようにしばらくじっと座っていた。どのくらいそうしていただろう。ようやくロビーに出ると、スーツを着た男たちが慌しく動き回っていた。青ざめている者、焦って何度も吃りながら電話をしている者、警備員に何か指示している者、ただただうろたえる者、それを怒鳴る者。 わたしはその中のひとりを捕まえて、何かあったのですかと尋ねた。 「ほんの少し前に、彼女が飛び降りたんです」 それってどういうことかしら、思ったままにわたしは口に出していた。それは彼に対する質問ではなかったが、彼はゆっくりと、嚙み砕くように言った。 「彼女は、自殺したんです。ここの屋上から身を投げて。リサイタルを数時間後に控えたいまこのときに」 「楽器は、彼女の楽器はどうなったのですか」 「楽器は、楽屋に置いたままでした。ケースにきっちりとしまわれて、鍵がかけられていました。鍵は、まだ見つかっていません」 なぜか楽器のことなど聞いたのか、自分でもわからない。しかし彼女が死んだと聞かされて、その意味もよくわからないままに、いちばん最初に思い浮かんだのは楽器のことだった。奏でる者を失くしたそれがどうなってし...

サービスエリアで笹かまを売る

  その日は面談があった。大学にはナントカアドバイザーという制度があって、ひとりの先生が 2 人くらいの学生を担当し、面談をしてくださる。面談場所が急遽診察室に変更されて、患者でも実習生でも医療従事者でもない立場で診察室に入り、お医者さんと向かい合うということはあまりないことなのかもしれないなどとぼんやり考えていた。   いろいろなお話をしているうちに先生の学生時代の話題になった。運動部の活動に打ち込んでいたほかにバイトをなさっていたという。「家庭教師とね、あとサービスエリアで笹かまを売っていたんだ」   サービスエリアで笹かまを売っていた。デパ地下でも、駅の中の名産品コーナーの笹かま屋さんでもなく、サービスエリアで。パンでも、ケーキでも、コロッケでもなく笹かまを。なんてすてきなおはなしなんだろう。お客さんはみんな笹かまを買いにくるひとたちなのだ。しかも高速道路でどこかに行ったり、どこかに帰ったりするひとたちだ。サービスエリアで笹かまを売るのは、考えうる限り最高のバイトといってよい ( しかも先生は「笹かまを売るのは楽しかったよ」とおっしゃっていたのだから完璧だ ) 。   その夜は、サービスエリアで売られている笹かまとそれを買いにくるひとたちのこと、かつて笹かまを売っていた青年がいまは痛みに苦しむひとたちの肩や肘や足腰やらを治していることを考えながら眠りについた。

虐待

浴室の細かいところ ( 排水溝とか ) を歯ブラシで掃除していると、子どもの歯磨きをしているような気持ちになってくる。 最初はやさしく磨いてあげるが、すき間にこびりついた汚れは簡単には落ちず、次第に歯ブラシを握る手に力がこもってくる。痛がって子どもは泣くが、その泣き声と落ちない汚れがよりいっそうわたしを苛立たせ、最初にはあったはずのやさしさや愛情が薄れていき、憎しみさえ込めてガシガシ磨く。 しまいには排水溝を磨いているのか口のまるい奇形の児の歯磨きをしているのかもわからなくなり、ただキンキンと耳障りな泣き声だけが浴室に響く。  

お人形あそび

バービー人形?別に大して好きじゃないわ。それにわたしたち、もうバービー人形で遊ぶような歳じゃないでしょう。急にどうしたの?なあに、この間わたしの部屋にバービー人形があったから?ああ、あれはお人形遊びのためにあるんじゃないのよ。コレクションしているわけでもないわ。でもね、今あるのでもう60体目なのよ。この話、詳しく聞きたい? 実はね、わたしはバービー人形を炙るのがとっても好きなの。何でって、ライターでよ。ちょっと、そんなに気味悪がらないでよ!バービーちゃんがかわいそうって?あのね、わたしの人形はバービーちゃんではないの。父親の愛人と同じ名前をつけているのよ。今までの60体全部がそう。ちゃんと名前をつけてから、ちょっとずつ炙るのよ。ほんのちょっとした楽しみなのだけど、他のひとから見たら変わっていると思われてしまうじゃない?だから誰にも言っていないの。人形も、新しいのが欲しくなったらお手伝いのバーバラにこっそり買ってきてもらうのよ。ライターと一緒にね。

16世紀の英国を生き抜くためにあなたがしなければならないこと

・常ににこやかで、穏やかに振る舞うこと。気性の激しい女性は男にとって最初は魅力的に見えるが、なぜかそれがいつしか憎しみの対象になるようである。 ・必要以上の高い身分を求めないこと。野心や向上心は素敵なものだけど、ここではそれがあなたの命を奪う。 ・頭の良さをひけらかさないこと。とくに身分とプライドの高い男の前では。 ・男の子を産むこと。それが確実にできる自信がないなら、その必要のない身分にとどまること。 ・理不尽なできごとを静かに受けいれること。抗議したり、嫉妬したりしないこと。とてもばかばかしく、不愉快なことだが、ここでは信じられないようなことがあなたの命を奪う。 ・恋や愛に生きないこと。愛に身を捧げようとすると、ここではほんとうに命を失うことになる。 ・かといって、運命に身を任せすぎないこと。おとなしく成り行きに 任せていたら気づいたらなぜか死ぬことになっていた、ということがここでは珍しくない。 ・空気を読むこと。あなたは思わぬところで反感を買っているかもしれない。 ・目立とうとしないこと。 ・ライバルを極力作らないこと。相手との力関係をよく見極めること。大抵の場合、あなたの方が劣っていると思って身を引いていれば危険は回避できる。 ・間違っても自分でなにかことを起こすようなマネはしないこと。 気をつけなさい。これをひとつでも守らなかった女の子たちはみんな、首を失くしているわ。